人間が肉を食べるということは
肉食の大きな弊害は、屠畜時に経験した恐怖が動物の肉に記憶されている点です。
動物を飼っていながら肉食をしている人は想像力が乏しいのかと思います。
自分が食べている肉は、自分が飼っている動物の肉と何ら違いはないはずです。意識するしないにかかわらず、人間は屠畜時の動物の恐怖や携わった人たちの悲しみを潜在意識に蓄積させているはずです。つまり、視て見ぬふり。感じないふりを重ね続けているということです。
よく「恐れを手放したい」と言う人がいますが、肉食をしながらその望みを叶えられると思うのは傲慢ではないでしょうか。
動物には感情体があって、理不尽な飼育環境で過去に蓄積された恐れ、そして殺される瞬間に抱いた恐れの振動が刻み込まれています。それは肉を食べてた人間の感情体にも吸収されます。
また、凝縮された形で人間の脳内にたまっていく物質もあります。それらは人間の知性に流れ込むはずの、より繊細な波動を阻止してしまいます。
しかしそれら有害な物質の摂取についても、上の存在は個々の人間の自由意思を尊重するため、介入することはありません。
恐れや恐怖心は、あらゆる場面やあらゆる段階で現代人を支配している感情です。人格をコントロールし、破壊的行動に走らせる邪悪な力でもあります。
滋養強壮に肉食は不可欠だとする理論は完全に間違っています。地球上で最も強い生物の一つである像が肉を食べているでしょうか。
同様のことは動物から作るワクチンにも言えます。生体に免疫を作り出させて病気を予防するという論理ですが、ウイルスとの戦いは終わりがありません。長い時間をかけて、人類の健康と抵抗力を奪うことになるでしょう。なぜ博識者と言われる人たちがそのようなことに加担するのか。それはひとえに人間が五感に基づく欲求、つまり肉体に直結した感情を満たそうとするからです。
肉体的欲求や、気まぐれの充足に費やしているエネルギーを、完全性の追求や素晴らしい物事の創造に向けなければ、この惑星に人間の住む余地はもはやなくなるのが自然でしょう。
肉食についての選択の自由を与えられた期間はとっくに過ぎてしまいました。
想像力の欠如と無知はほんとうに罪です。
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