蚕繭自縛 さんけんじばく

親鸞聖人の尊敬した中国の高僧・曇鸞大師(どんらんだいし)の『往生論註(おうじょうろんちゅう)』という書物の中に、「蚕繭(さんけん)の自縛(じばく)するがごとし」という言葉があります。

蚕が自分で吐いた糸で作った繭で自分自身を縛りつけるように、人間も自らの吐いた言葉によって自分たちを縛って苦しめていることを示しています。

「男性はこういうものだ」「女性はこうである」「老人はこうだ」といった主張の多くは、思い込みによって作られた幻であるように思います。なぜなら、思考を変え、言葉を変え、行動を変えたら己を取り巻く世界も変わるからです。

蚕は己のサイズに合った繭を作り、そこに閉じ籠もります。

人間のエゴは己の世界に己を縛り付けておいて藻掻いています。そこから抜け出せないといって苦しんでいます。しかしそうさせているのも他ならぬ己です。繭があるわけではないのに繭を作って己を縛り付けているように見えます。そうなると息苦しく、自由がないように見えます。

そこをどうするかは一人一人に問われます。解脱とは、己を縛り付けている繭の糸を解き放つことです。そこから抜け出ることです。己が紡いだ狭い世界を抜けて出ることです。広々としたところへ出て来て背伸びをし、楽な呼吸をすることです。己を束縛している者などいないということを知ることです。スピリチュアルを生活に活かすことが上手な人は、広い天地に遊ぶ楽しさを知りますが、多くの人はなかなかそうはしません。

いつも狭いところにいて、狭い思想、息苦しい世界観に甘んじています。広々とした天地があるのだから、そこへ出て来て遊べばいいのに。そこへの出入りは無制限なのに。


DivineSource

人は何かに属すことで安心する傾向にありますが、それは本質からはかけ離れた行為です。 DivineSourceは魂の成長とともに自立した個人を目指します。 そこにはリーダーや組織は存在しません。 思考はエネルギーです。 思考するから現実が起きるのです。 思考が先、現実はあとなのです。 自立したあなたのまわりには、真の仲間がたくさん集まってきます。

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