欲望と自由
ある人々は、眠っているのを起こすことはほとんど不可能です。大きな声を出しても反応しません。揺すってみると、叫び声をあげて抵抗さえします。あるいは瞬間真我に目覚め、起き上がるかもしれません。しかしあなたがそこからいなくなったとたん、またベッドに倒れ込んで眠ってしまいます。
一方呼ばれた瞬間にパッと目を覚まし、応える人々もいます。そういう人々にはベストなタイミングで霊的指導者との出会いがあります。最初は本かもしれませんし、映画かもしれませんが、決して幻想に囚われた眠りを懐かしむことなく、どんな時も、より大きな真我への目覚めを求め続けます。
スピリチュアルな成長に内観は必須である。外側には何もない。ということは、このページに来られた方は既によく耳にされていると思います。そして実践されている方は、それには強い意志と信頼が必要であることもおわかりだと思います。
幾度もの転生の間、どれほど多くの人がその自由意思により、神を拒絶し続けているかを見てください。
イエス・キリストは、人々を自分のところへ引き寄せるためにこの世にやってきたわけではありません。イエスの言葉によれば、「あなたに自由を得させるであろう」真理へ引き寄せるためにやってこられたのです。高次のメッセージはどんな時も、真理であるがゆえに私心のないものです。
ほとんどの人は、自らの欲望に自由に浸れるなら、それがまさに自由だと思っています。そういった人たちには、欲望それ自体が抗しがたいものであることが分かっていないのです。欲望は分別の目を覆ってしまいます。
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