お墓参り
お墓参りに行くとときおり聞こえてくる台詞があります。
「掃除に来てるのは私たちくらいのものよね。みんな知らん顔なんだから」
そう思いたい人はそう思える材料にしか目が向いていません。
3日前にお参りに来た人がいるかもしれない。でも炎天下でお花はすぐに傷んでしまい、お寺さんが片づけてくださったのかもしれない。明日誰かがお参りに来るかもしれない。そんな風には思わないのです。
これはお墓参りに限らず、ありとあらゆることに当てはまります。
人を非難したい人は、非難する材料ばかりを集めます。
そもそもお墓参りは自己満足。やった感。心がまえによっては自分のためにはなるかもしれませんが、義務感から年に数回お墓参りをするのと、瞬間瞬間ご先祖様に感謝したり、毎日ご先祖様を思って手を合わせるのとどちらが本当の意味での供養になるでしょう。
それに、毎日手を合わせている人は、「手を合わせてるのは私ぐらいのもの」なんて思いもしないですよね。
ではお墓の歴史を見ていくと、約15000年前から約2300年前、縄文時代に始まります。
遺体を埋葬するのは、人間が単なる動物の一種ではなく、霊魂と肉体から成り立っているという考えがあったことを示しています。
これはお墓の発達と日本人の死生観の歴史から見て大きなポイントでしょう。
しかしこれらの古墳は全て天皇や貴族、有力な地方豪族などだけが埋葬されているお墓で、権力を持っているもののみが権力の象徴として造営できました。
では一般庶民のお墓はどうだったのかというと、縄文時代、弥生時代とほぼ変化はなかったようです。
古墳時代は大和朝廷がお墓の大きさを制限する「薄葬令」を646年に発したことで終わります。
江戸時代の徳川幕府は、国民統制政策の一環として、全ての国民はどこかの寺の檀家にならなければならないという、寺請制度を設けていました。
寺請制度によって墓地を自由に設けることができなくなると、埋葬する土地が限られてくるために、お墓は家族単位、一族単位になり、現代のような墓石の下に納骨室を設けて、その上に墓石を建てる形式が一般化しました。
しかし明治維新で徳川幕府から明治政府に政権が移ると、明治政府が奉じた天皇は神の子孫なので、仏教を主体にする寺請制度は廃止されます。
この寺請制度の廃止によって、国民はどの宗教の管理する墓地にも、あるいは宗教と関係ない団体が運営する墓地にも埋葬されることが可能になりました。
とこのように、人類の長い歴史のなかのほんのわずかな期間に根付いた慣習に現代の多くの人は縛られているのです。
私はお墓参りを軽んじているわけでは決してありません。しかし何を根拠に人を非難するのかを考えてほしいと思います。
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