もっとも深いところですでに受け容れられている
本当に自由であろうとするなら大きく目を開いてこの現実に立ち向かわなければならない。
否定したり、都合よく考えたり、期待したりすることから離れて、あるがままの人生についての真実を語らなければならない。
大いなる自由は、どんなにそれが自分の望みや夢、計画と相容れないものであっても、この瞬間の真実を認めるところにある。
つまりここで言っているのは、最終的には私たちが考える現実にではなく現実そのものにこそ支配権があるということだ。
受容とは現実を見ること、そうなってほしいという期待や願望によるものではなく、物事の実際のあるがままを見ることに尽きる。そして、あるがままと完全に調和した地点から、あらゆる創造的な、愛に満ちた、知的な行動が自然に流れ出るのだ。
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