肉体のあるうちにしておきたいこと

私たちの抱えている問題は、ほとんどが自分に対して責任が持てないことに起因しています。
自我が「原因」を社会の別の場に投影しているのです。
これは社会構造を弱体化させ、間違った「治療法」をもたらします。

個人的な責任感を持つ代わりに言い逃れをするという傾向は、悪化しつつある社会問題です。
他者に責任を転嫁することに安住することは、パワーの喪失を招きます。
また、責任転嫁は怒りや憎しみを招き、犯罪や階級闘争、戦争に油を注ぎます。
正当化できる怒りは一つもありません。

パワーは、誠実であること、そして、自分の行動や選択、決断の結果として起こった事象に対し、責任を引き受けることによってもたらされます。
全ての選択にリスクはつきものですが、取り繕うことは不誠実であり、それは獲得のためのゲームを続けているに過ぎません。
立ち位置が誠実であるかどうかは、ペンデュラムやキネシオロジーでも確認できます。 ペンデュラムやキネシオロジーは、隠れた動機や意図を全て明るみに出すからです。

狼は羊の皮をかぶって門から入ってきます。ですから個人的なことから政治的なことまで、真偽を見極めることは極めて重要です。
利己的な目論見は全て、考えることを放棄した多くの人たちの支持を得るために、一見すると立派な主張の裏に包み隠されているからです。 意外と思われるかもしれませんが、戦争への扉はたいてい、平和主義者が開いています。

DivineSourceでは、スピリチュアルに生きるとは、なにものにも囚われることなく、自立した人生を歩むことと考えます。
自由とは、自らの運命を好きなように切り開く機会が与えられ、霊的真理を学んでいくことだと思います。世界は私たちが人生を通して自らを救済し、互いに奉仕しあえる学校であると認識できれば、さほど苦痛ではなくなるでしょう。人生では嫌なことであろうとよいことであろうと、全ては霊的な成長に貢献しているのです。

誰のせいにもしない、被害者意識を持たないことは、劇的に人生を好転させてくれます。
そして真偽を見極める目を養うためには考える力が必要です。考える力は誰かが用意した問題で高得点を得、誰かに評価されるためにあるのではありません。


DivineSource

人は何かに属すことで安心する傾向にありますが、それは本質からはかけ離れた行為です。 DivineSourceは魂の成長とともに自立した個人を目指します。 そこにはリーダーや組織は存在しません。 思考はエネルギーです。 思考するから現実が起きるのです。 思考が先、現実はあとなのです。 自立したあなたのまわりには、真の仲間がたくさん集まってきます。

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