スピリチュアルな観点から考察する結婚生活と離婚
一般的には離婚は結婚の失敗と考えられるでしょう。
しかしスピリチュアルな観点からすると、必ずしも失敗とは言い切ることはできません。
では結婚と離婚をカルマの法則から紐解いてみましょう。
「行為は何らかの報いを生じる」というのがカルマの思想です。
要するに「因果応報」を意味しており、善い行いは良い結果を生み、悪い行いは悪い結果を生むという考え方に基づいています。
そしてこれは輪廻転生を通じて現世へと伝わっているとカルマの法則は教えます。
つまり、過去世における行いが今世に影響しており、現世の行いもまた、来世へと繋がっていくのです。
今世における出来事や体験、出会いは、過去世から始まっているいると観るのです。
離婚と一口に言っても、その原因や結果は様々ですが、スピリチュアルの観点からすると、離婚には、カルマを創る離婚か、そうでない離婚かの二つに大きく分けられます。
カルマを創る離婚とは、恨みつらみを残したまま別れる離婚です。
たとえ表面上は円満な離婚だったとしても、双方に、あるいは片方に、我慢や犠牲になる感覚、裏切られた、傷ついたという思い、時間を無駄に費やしたという虚しさがあるならば、それはカルマを創った離婚となるのです。
離婚をしたことで、ネガティブな感情が少しでもあるならば、それはカルマのある離婚なのです。
一方カルマを創らない離婚は、相手に対する期待や執着、あるいは拘りがなくなるので、すんなり別れることができ、さらには相手の幸せを思う余裕や、しだいに感謝の気持ちも湧いてくるでしょう。
若気の至りで判断を誤ったなど、結婚そのものを後悔する人もいるかもしれませんが、そんなわけで、過去世からの遺恨があり、それを主張したくて、結婚と離婚という壮大な計画をしている場合もあるのです。 過去世からずっと、「あなたのせいで、私は幸せになれない」と知らしめたくて、その目的を達成するために結婚して離婚する必要があった。というケースもあるのです。 過去世からでなくても、失恋の痛手から立ち直れないと言う人は、相手にどれだけひどいことをされたかを、知らしめたいという思いがあるのです。 そのために、簡単に失恋の痛手から立ち直るわけにはいかないのです。 実際その最中の人には認められないでしょうが、それほど被害者意識というのは、理不尽で生産性のない意識です。 しかしこれらは全て、無意識の領域で行われることです。
離婚は様々な要因が絡み合った末の結果であり、一言で言い表せるものではありませんが、スピリチュアルな観点から、主だった原因の一例としてみていきましょう。
【価値観や性格の不一致】
価値観や性格の不一致による離婚は、表立っては最も一般的な離婚の理由ではないでしょうか。
しかしどんな事例を並べようとも、このような離婚の真相は、「合わない」のではなく、「合わせることを諦めた」が正解です。
お互いに違う価値観を持っていたとしても、愛があれば合わせようとしますし、合わせたいと思うものです。
それをせずに「「自分の価値観は譲りません」「合わせる気は一切ありません」と思うのが、価値観の不一致による離婚の真の姿なのです。
なので不一致による離婚の場合のカルマは、淡々としているようでいてかなり根深いのが現実です。
離婚によって学びを得ていない場合は、根本的な原因が解消されていないので、別れたパートナーに与えてもらえなかったものを、次のパートナーに求めます。
相手を変えて仕返しし続ける、という状態に陥るのです。
「今度こそ幸せになってやる」とか、「元夫や元妻を見返してやる」という考えはまさにこれです。
残念なことに、幸せを求めて復習と仕返しのカルマが始まってしまうのです。
【浮気 】
浮気はスピリチュアルな観点からすると「自由を求める心の現れ」の一つです。
「ルールや約束事に縛られるのが嫌」「決められた物事に従うのが嫌」という、深い反抗心が無意識に働き、浮気に及んでいる場合が少なくありません。
浮気がちな人の心の奥には、「権威との確執のカルマ」が根強く潜んでいます。
「支配されたくない」という気持ちから「良き妻」や「良き夫」という枠組みから自ら外れようとするのです。
このような人は、過去生において、結婚によって自由を奪われたり、望まない婚礼をさせられたのかもしれません。
不自由な婚姻をして、家系や権力を恨む、というカルマを持っている傾向があるでしょう。
または、パートナーに対する過去生からの積年の恨みを晴らすため、浮気という形で仕返しをしている場合もあります。
しかし浮気という裏切り行為によって、怨みを晴らしたつもりでも、離婚によって再び、新たな怨みのタネが生まれるので、カルマが解消されることは難しいでしょう。
【経済的な問題】
収入の減少、膨れ上がった借金が原因で離婚となるケースも少なくありません。
「お金の切れ目が縁の切れ目」という言葉がありますが、お金が無くなったことで見えてくる真実というものがあります。
逆に言えば、お金が真実から目を逸らしていたということです。ですからこの場合は、お金を取り上げられたのはチャンス、あるいは当事者の霊性のレベルからするとギフトである場合も少なくありません。
表面的な繋がりが、魂レベルで繋がる絆へと変化する可能性を秘めているからです。
しかし、離婚後に慰謝料や養育費といった問題が生じた場合、払う側が「お金を奪われている」と感じてしまうと、仕返しのカルマが生まれます。
「奪われた」と感じてしまうと、今度は「奪い返してやろう」という因縁の関係が始まってしまうのです。
お互いが慰謝料をもらえることのありがたさ、慰謝料を払うことを心の底から理解できているのであれば、カルマは解消へと向かうでしょう。
【セックスレス】
結婚し、家族になってから、パートナーを異性として見られなくなってしまった、というのは、セックスレスの理由としてあげられる理由の一つですが、これには、家族関係のカルマや、セックスそのもののカルマが関係している場合があります。 家族や家庭は神聖なものであるべき、という厳格な教えの中で育ったこと、望まないセックスの犠牲になったことなど、そうしうた(過去世を含んだ)記憶が絡み合い、家庭とセックスが共存できない思い込みが、無意識のうちに刷り込まれていたりします。 または、過去生からの因縁の為、片方がセックスを拒否する場合もありますし、自分に性的な満足を与えない、という自分への戒めの場合もあります。このようなカルマは、特定の人にだけ現れることがありますが、やはりエネルギーとして残存している根本的な問題を解消しなければ、パートナーが変わっても同じことを繰り返してしまう可能性も含んでいます。
しかし多くの人が陥る過ちは、一見穏やかな結婚生活において、カルマを生産し続けてしまうことがあるということです。 愛情は冷めているけれど、経済的な理由から離婚はしない。という夫婦は少なくありません。 この関係には「奪い合うカルマ」が潜んでいます。
また「別れるのが面倒」「別れたいけれど一人になるのは嫌」という理由で離婚をしない場合は、満たされない気持ちが蓄積しますから、これはこれで、新たなカルマを生じることになります。
どのような場合であれ、蟠りができたままにしてしまうと、カルマは常に魂と共に在り続けてしまうのです。 夫婦の仲が良いことが最も良き事ですが、利害関係のみで続けている場合は、いかに有利に事を運ぶかではなく、自己を内観するチャンスと捉え、真実から目をそらすことなく、成長の糧と捉えることが、必ず後の幸せに繋がるものです。
さらに言えば、魂レベルでは結婚も離婚も、良いも悪いもなく、ただ経験があるのみなので、大切なのはその中身であり、心の在り方です。
表面に見えている問題をひとつひとつ片づけていこうとするのは時に方向性を見間違い、幸せを求めていたはずが、さらに苦しみを積み重ねてしまう場合もあります。DSセッションでは魂の関係、そして二人の学びが完了しているかなども必要に応じてアドバイスさせていただいておりますので、本質が望む人生の為に、参考にしていただければと思います。
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