カルマの法則

「行為はなんらかの報いを生じる」というのがカルマの法則、つまり「因果応報」です。

それらは輪廻転生を通じて伝わっていくものです。

なぜか強くこだわってしまうものや、感情が揺さぶられるもの、導かれているように感じる物事など、運命的に思える事柄のほとんどはカルマが関係していると言えるでしょう。

今生「不運」と感じる出来事も、どれほど相手や環境が悪くても、やはり「報い」であり、自分が撒いた種の結果として現象化しているものです。

報いであることを素直に受け入れればすむことなのですが、いつまでも人や環境のせいにしていたのでは、そのチャンスを見逃してしまいます。あるいは意識的に向き合おうとしても向き合えないという人は少なくありません。

生前スワミは言いました。

人々はカルマに押しつぶされて成長できなくなっていると。

多くの人々の心は傷つき疲弊してしまい、前に進めなくなっています。

何とかしなくてはと焦る気持ちが、より一層の苦しみを作り出し、身動き取れない悪循環に陥っています。

ところがスピリチュアルな学びが進み、魂が成長すると、同じカルマでも楽々と超えることができるようになります。

一般に、小学生に高校入試問題は難しくても、大学生には楽に感じるといった具合にです。

何かをやってしまった以上、「報い」から逃れることはできませんし、1つの悪行を100の善行で帳消しにできるものでもありません。

さらに善行と思えることでも、宇宙から見れば、必ずしもそれが善行ではないケースもあります。

たとえば、社会的に弱い立場にある人を助けることは善いことのように見えるかもしれませんが、「弱者」として扱うことで、その立場に甘んじさせてしまうということもあり得ます。
また寄付においても、慈悲の心をもって行うのと、税金対策の為に行うのでは当然異なります。
行為だけでなく、そこに伴う心の在り方は何より重要であり、また誤魔化すことのできないものです。

怒りや復讐心を手放し、許すことを選択するチャンスは例外なく誰にでも与えられています。

感情を抑え込んで次の生へと持ち越すのではなく、その瞬間に「許し」を選びたいものです。

そして今の時代はそれが可能になっています

つまり、今生、あるいは過去生のあやまちは今生で解消できるということです。

そのためには心の在り方が何より重要です。

そして自分から許すのがカルマ解消への道であるなら、過去生の自分の過ちを許すことも然りです。

自分を許せないのに他者を許せるはずもありません。



DivineSource

人は何かに属すことで安心する傾向にありますが、それは本質からはかけ離れた行為です。 DivineSourceは魂の成長とともに自立した個人を目指します。 そこにはリーダーや組織は存在しません。 思考はエネルギーです。 思考するから現実が起きるのです。 思考が先、現実はあとなのです。 自立したあなたのまわりには、真の仲間がたくさん集まってきます。

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