幸せは自分自身の中に存在するもの
瞑想の高い次元に達した心は、あたかも風の無いところに置かれた蝋燭の炎のごとく安定します。
誰もが悲しみのない幸福を常に願っていることでしょう。
この幸福とは、自分自身の中に存在します。
眠りの状態においては誰もがこの幸福を経験しています。
この自然な幸福に至るには、自分自身を知らなければなりません。それが一番の近道です。
幸福は真我の本質であり、揺るぎない幸福は真我の幸福です。この世の対象物に幸福はありません。
しかし無知のせいで、そこから幸福が得られると人は想像するのです。
人が想像するように、幸福が外的な要因によるものなら、所有物が増えれば幸福も増し、また減少すれば減ると結論するのが理に適っています。従って、所有物がなくなれば、幸福も皆無になるはずです。しかし、実際の経験はどうでしょう。
深く眠っている時、人は自分の肉体を含め、あらゆる所有物をなくしています。
しかし不幸ではなく、非常に幸福です。
無欲は最高の至福です。これは経験によってのみ悟られます。
たとえ皇帝であっても、無欲の人には太刀打ちできないのです。
純粋な喜びの貯蔵庫を開くためには、真我を実現しなければなりません。
実のところ、苦しみと喜びは事実とは無関係で、その人の思い込みによるものです。
例えばある同郷の友達二人が旅に出たとします。そのうちの一人は旅の途中で亡くなってしまいましたが、もう一人は旅先で仕事を見つけ、しばらくその地で働いてから里に戻ることにしました。そのうちに、旅先で同郷の知人に出会ったので、自分と亡くなった友人のことを家族に伝えるよう頼みました。しかし頼まれた人は、生きている人と死んだ人の名前をうっかり言い違えてしまいました。その結果、実際に亡くなった人の身内は彼の無事を喜び、生きている人の身内は彼の死を嘆いたのでした。
あるいはご自身や大事な人や動物たちが、命に係わる病の誤診をされたことを想像すれば、苦しみと喜びは心が創り出すもので、事実とは無関係なことがわかりるでしょう。
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