映画を見るように人生を見る

何が起きようと、執着のない目で人生を見ることです。映画を見る時のように。

もし映画が悲劇だったなら、あなたはその話から多くを学んだというかもしれません。もし主役が困った状況に陥ったなら、そのうろたえた姿を見て、自分でないことに胸をなでおろすかもしれません。

しかしのちに、自分自身が困った状況に陥った時、人は自分のこっけいさを笑うことができるでしょうか。悲劇に襲われた時、そこから学ぶべき教訓に感謝できるでしょうか。

残念ながらほとんどの人は、そのストーリーと一体化してしまい、狼狽え、被害者を演じるか、加害者を仕立て上げて戦う姿勢に転じることでしょう。それはほんとうに不幸なことです。

人生で何が起きようと、内側において、そこから自分を切り離すことです。

人生においていつも「もう一つの世界」を意識することは大いに役立ちます。

 あなたの見るものが何であれ、見ている者の背後にある「もう一つの世界」、つまりより大きな真実を意識することです。

 人の目を見る時、その人の意識を通し、あなたに触れようとしているエネルギーを感じることです。

聖者は目を見れば文字通りその人の全てがわかるそうです。

だから判断を間違えることはありません。

人間は何もわかっていないのに簡単に人を判断しようとします。そして間違いを犯すのです。


 

DivineSource

人は何かに属すことで安心する傾向にありますが、それは本質からはかけ離れた行為です。 DivineSourceは魂の成長とともに自立した個人を目指します。 そこにはリーダーや組織は存在しません。 思考はエネルギーです。 思考するから現実が起きるのです。 思考が先、現実はあとなのです。 自立したあなたのまわりには、真の仲間がたくさん集まってきます。

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