スピリチュアルな学びはどこでするのがいい?

スピリチュアルに目覚め、今世できる限り霊的な成長を遂げたいと思っている人は、何か特別なこと、例えば瞑想その他のワークや、特別な時に祈りをささげるなどしていればいいわけではありません。さらにそれ自身が目的なのではなく、それらは手段や助けとなり、目的はその先にあります。

人生80年として、人はその1/3近く、ほぼ27年間は眠っています。そして25年間は子供時代や、野心を追求する青年期を過ごし、その後は40年間1日8時間働くとして、さらに13年間スピリチュアルな学びから離れています。そして人生の終わりには、思うように身体が動かないこともあり、実際スピリチュアルな学びに費やせる時間は5年余りです。

そしてその5年間にもたくさんの問題や妨げがあるものなので、そう考えると生活そのものをスピリチュアルな学びに変えなくてはとても到達できないと思われます。

つまり、家族の世話をしていようが、働いていようが、自分の行為を全て、スピリチュアルな成長に活かす気持ちでいることが必要です。

そのような状態でいれば、人生で問題に直面しても、問題自体が学びとなります。

そこで大切なのは、最大限できる限りのことを行い、その結果については求めないという姿勢です。

誰かを傷つけたり何かを盗んだりすれば、当然の結果として罪を問われます。今世で刑罰を逃れたとしても、来世で必ず結果は巡ってきます。それゆえ世の中には苦しんでいる人がたくさんいるのです。

今の時代は、今世の生き方の結果が今世のうちに戻ってくるケースも多く見られます。インスタントカルマなどと呼ばれることもありますが、要は自業自得です。

記憶にない前世の行いならまだしも、自分の悪行は自覚しないという人が少なからずいます。まさに傲慢・無知の成せる業で、霊的無知は最大の罪となります。

エゴをコントロールし、謙虚な姿勢でいれば、無知により負のカルマを生産し続けるという悲劇は起こりません。

私たちはこの地球上で何度も生まれ変わり、他者を傷つける行為をみな行ってきています。そして自分のその行為の結果に苦しんでいるのです。

それは公平であり、自分の行為は反応として全て自分に戻ってくるというのが、カルマの法則です。

自分の行為の結果は隣人のところへは行かないのです。

もちろん、聖者やそれに相当する師は、問題を取り除いたり、軽減したり、それに耐えうる強さを私たちに与えたりすることで、私たちが抱える困難を緩和させることができます。

私たちに大切なのは、負のカルマをこれ以上創り出さないよう努力することです。

そのためには、「思い、言葉、行為」に細心の注意を払うことが大切です。

なぜなら、私たちがこれから何を体験するかを決定するのは、今現在の「思い、言葉、行為」であるからです。

全ての人生は、苦しみを軽減し、幸福を増すための絶え間ない奮闘です。自分の幸せを得るために、うっかり、あるいはわざと他者に悲しみや苦痛をもたらしてしまうことがあります。

それらは漏れなく記録され、人は死ぬときも、生まれる時も、オーラと呼ばれる精妙な層に包まれて持っているのです。

『あなたは自分の行為を自分の自由にすることはできるが、行為の結果については自由にはできない。』 バガヴァット・ギータ 第二章47節

DivineSource

人は何かに属すことで安心する傾向にありますが、それは本質からはかけ離れた行為です。 DivineSourceは魂の成長とともに自立した個人を目指します。 そこにはリーダーや組織は存在しません。 思考はエネルギーです。 思考するから現実が起きるのです。 思考が先、現実はあとなのです。 自立したあなたのまわりには、真の仲間がたくさん集まってきます。

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