適切な受容性
どんな分野においても、適切な受容性なくしては、師の言葉を言われた通り、そのままに聞き取ることはできません。
師の言葉を自分の見方や傾向で色付け、捻じ曲げて受け取ってしまい、それぞれが好きなように解釈するだけです。
同じことを言われても、全く同じに受け取れないのは、個々の前世も含めた過去の経験から来るものです。
さらにその経験が傷となって残っている場合は、ネガティブな感情が先行し、見当はずれにも、師に責められたと感じ、被害者を演じるという愚かなことになります。
師の言葉の恩恵を得たいのなら、純真無垢な子供のように、今師が口にしている言葉そのものに心を開く姿勢が必要です。
人は、自分の考えがどんなにばかばかしく、実用性のないものであったとしても、それに執拗に執着しがちです。
そのような人たちは全く受容性に欠け、心が閉じているので、例えアンマのような聖者がいくら忠告をしても、自分が思った通りのことしか受け入れません。しかもそれを無意識で繰り返していますから、自分では気付くことも困難です。
アンマは「眠っている人を起こすのは容易だが、眠っているふりをしている人を起こすのは難しい」と言います。
自分は既にそのことについては知っている、既に学んでいると思っていては、何も学ぶことはできないのです。
真のスピリチュアルリーダーたちは「自分は何も知らない」とよく言います。普遍意識を垣間見たならば、それは当然のことでしょう。
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