学ぶということ
教える、教えられる関係は、会社では上司と部下、スポーツではコーチと選手、習い事では先生と生徒など、いろいろなところにあります。
習い事で多いのは、生徒をお客さまにしてしまうことです。
生徒をほめて、また来てもらうことが目的です。生徒側としては、自身の成長よりも満足を得るようになります。あたかも商品を買うかのごとく習い事をしに行く関係が、教える場では起こりがちです。
教える側は、本当は師匠と弟子の関係でいたいのです。お客さまにしてしまうと厳しいことが言えなくなります。とはいえ、厳しいことを言えば、生徒が来なくなります。ビジネスで考えれば、背に腹は代えられず、お客さま扱いするのです。
ここで教えられる側の成長は止まります。
上司と部下の関係でも、「私は褒められて伸びるタイプなのに」と言う部下は少なくありません。
習い事なら、もっと褒めてくれるところに行きます。会社の場合は、別の部署の上司は褒めてくれるのに、直属の上司は褒めてくれないことがあります。ここで他の部署に行きたいと思う人は、結局、自分の成長よりも他者承認を求めているのです。
こういうことが今、世の中にまん延しています。
意外に思われるかもしれませんが、チャネリングをメインにしているセッションでさえ、そうです。
真実よりも、言ってほしいことを言ってくれるチャネラーにはリピーターも多く人気があります。
チャネリグを生業にしているのですから、何を言ってほしいかぐらい簡単にわかります。ただ普遍意識と繋がればそんなことは言いませんから、その時点でどこと繋がってるかは明白です。
自分が教えられる側になる時は、お客さまではなく、弟子になる覚悟が必要です。
プロから厳しいことを言われるのは、教わる側としては辛いことかもしれません。その辛さから逃避しようとして、「あの人のあれはいいんですか」「これができない人がたくさんいますが、どうしたらいいんでしょうか」という聞き方をしがちです。
ほかの人のことを挙げて、自分のことから話を逸らそうとするのです。
ほんとうに成長したい人は、「私はどうすればいいのか」「私のどこがいけないのか」「私は何を改善したらいいか」と、「私」について聞いてきます。自分のことから逃げません。
質問をする時は、自分のことについて聞くことです。他の人にすり替えた時点で潜在的に自分のことから逃げようとしていることに気付けば一歩前進です。
また教えている側は全く同じことを言っていても、教わる側によって感じ方は様々です。
明らかに優しく丁寧に教えていても、その部分が癒されていなかったり、問題を抱えている場合は、素直に受けとめることができません。
「叱られている」→「嫌われている」→「いじめられている」と、話がどんどん変わっていきます。
「私、いつも叱られているんです」と言う人は「こうしたらいいよ」とアドバイスされると、「また叱られました」と言います。
感情がネガティブに反応した時がチャンスなのに、保身に走って学びを先延ばしにするのはもったいないことです。
0コメント