コンパニオンアニマル

人間は個性をもって永遠に生きる存在ですが、その点で動物は人間とは全く異なっています。地上にいる間、動物は肉体と幽体を持っていますが、人間が持つ霊体はありません。

動物は死後、幽体のみとなりますが、地上にいる間、人間からの愛を受けた場合のみ、この幽体がしばらくの間維持されるのです。そして飼い主が霊界に入ってくるまで待ち続けます。
ですからかわいがった動物とは必ず再会できます。

一方人間からの愛が受けられなかった動物は、死と共に同種類の動物の生命素の集合(動物の類魂)に吸収されて個性を失います。

動物の意識は常に本能の枠内にあり、そこに自由意思はなく、当然自由意思に基づく因果律の適用を受けることもありません。

人間だけが自由意思を持ち、自らの行為に対する因果律の適用を受けるのです。

地上にいる生命体の中で神を知ることができるのは人間だけです。人間のみが神を知ることができるということは、神に代わって動植物を愛する役割が与えられているということでもあります。それは一方的な支配であるために、愛において支配されなければなりません。
地上の全生命体は、人間から愛された分だけ進化することができるのです。それは、人間から愛されることによって、神の愛を間接的に受けられるからです。
一方人間も動植物を愛することで、その何倍もの喜びを得ることになります。そして地球上に愛の循環と拡大が始まるのです。

霊的観点から見た場合、動物の生命を奪う権利はいかなる場合も人間には与えられていません。虐待などは言語道断ですが、狩猟、食用、実験全てにおいてです。
しかし肉食については、現在の人間がいまだ霊的に未熟なレベルであることを考慮し、気が付いた人からやめていけばいいという程度です。
動物に対する姿勢は、その人の霊的成長度によって自然に決められるものですが、自分のペットだけを可愛がる姿勢や、動物としてというより、まるで玩具のように自分の趣向に合わせるのは、動物愛とはかけ離れたものです。
しかし自分の愛するペットが苦しむのを平気で見ていられる人はいないでしょう。ペットを飼いながら一方で肉食をするという大きな矛盾は、ペットに対するせっかくの愛の行為のすばらしさを打ち消してしまうことなのです。
人間と異なり動物には再生はありません。
あなたとの出会いは文字通り一期一会です。その一度の体験を類魂に持ち帰ることで、類魂が全体として進化していきます。それについて決定的な影響力を持つのが人間の動物への愛です。動物の霊は、類魂全体として進化していきます。

動物の類魂として霊的に最も進化しているのは犬で、次は猫だそうです。それは人間の愛をより多く受けたためです。




DivineSource

人は何かに属すことで安心する傾向にありますが、それは本質からはかけ離れた行為です。 DivineSourceは魂の成長とともに自立した個人を目指します。 そこにはリーダーや組織は存在しません。 思考はエネルギーです。 思考するから現実が起きるのです。 思考が先、現実はあとなのです。 自立したあなたのまわりには、真の仲間がたくさん集まってきます。

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