守護霊

肉体をもって生活する中で、守護霊のいない者は一人もいません。どんな人も守護霊の助けなしで独り立ちしている人はいません。

守護霊は私たちが地上でたどる道をあらかじめ知っています。守護霊は常に私たちの成長の為の最善の道を歩ませようとしています。そしてそれによって自らも必要な因縁を切ったり、埋め合わせをしているのです。
そしてその愛は、実感できない人にとっても、地上のいかなる人間関係の愛よりも深く強いものであり、私たちは決して独りぼっちではありません。忘れ去られる人は絶対にいません。

守護霊は、私たちが道を外れないよう、常に最大限の援助をしてくれています。
インスピレーションを通して懸命にそれを伝えてくれたり、霊的エネルギーを注いでくれたりすることもあります。
時に私たちが因果律のもとで苦しみの体験をしなければならないときは、苦しむ我が子を前にした親の心境で見守ってくれています。
しかし、大事なのはここですが、因果律は絶対であるために、苦しみを乗り越えることによってしか成長しないことを知っている上の存在が直接手出しをすることは決してありません。深く厳しい愛で接してくれています。

人間はとかく、自分にだけに特別な配慮を願うものです。
しかし宇宙の法則は、全人類が平等に成長できるよう、厳格に支配されています。もし自分だけに特別な慈悲を願うような、利己的な心が支配すると、真実の愛とはかけ離れ、法則の冷たい面だけを見ることになります。
人間がその厳然たる宇宙の法則を知れば、もっとスムーズに成長でき、幸せを手にすることができるのですが、それに合わせようとせず、特別な慈悲だけを願えば、神に対する不満だけが大きくなるだけでしょう。そのような心で特別な配慮を求めて奇跡を願っても無駄なことです。

肉体を持った私たちの中には、霊性を見失い、欲に目がくらみ、低級霊を自ら呼び寄せるような状態にたびたび陥る者がいます。そして心が完全に悪霊(わかりやすくここでは悪霊とします)に支配されてしまうこともあるのです。
そのような時には守護霊といえども、もはや援助の手を差し伸べることはできなくなります。そしてしかたなくいったん手を引き、本人の心の状態が呼び寄せた状況のままにし、苦しみの中に置くのです。そんななかにあっても常に愛を注ぎ、見守り、自ら気付いて這い上がるチャンスを今か今かと待ちます。
苦しみの中で私たちの霊性が高まり、自発的に向上心が芽生えるのをじっと待つのです。

ここでしばしば自分の守護霊は誰かと関心を持つ人がいますが、肉体を離れれば自分の守護霊が誰であったのかは確実にわかるようになります。
ですから守護霊の名前や身元などは知る必要もないことで、そういったことに必要以上に関心を持つことは、エゴにエネルギーを注ぎ込み、霊的成長とはかけ離れた状態です。
守護霊が常に自分を見守ってくれており、導いてくれているということを意識することがとても大切で、私たちが意識を向けることで絆が強化され、それだけ守護霊は私たちに働きかけやすくなり、私たちもより宇宙の智慧を行使しやすくなるのです。


DivineSource

人は何かに属すことで安心する傾向にありますが、それは本質からはかけ離れた行為です。 DivineSourceは魂の成長とともに自立した個人を目指します。 そこにはリーダーや組織は存在しません。 思考はエネルギーです。 思考するから現実が起きるのです。 思考が先、現実はあとなのです。 自立したあなたのまわりには、真の仲間がたくさん集まってきます。

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