パワーかフォースか
私が初めてキネシオロジーに出会ったとき、自分が目撃したその可能性に即、驚いてしまいました。それは、二つの宇宙を結ぶ「ワームホール」のごとく、肉体を心と魂の次元に連結させるものでした。
自分自身の根源を失って眠っている人々だらけの世界に、もっと高い次元のリアリティーを与え、その見失われた関係性を取り戻すツールがここにあり、それは誰もが目で確かめられるものでした。
私は思いつく限りのあらゆるテーマや思考、概念などをテストしてみました。そして、私の生徒や助手たちにも同じようにさせました。
やがて私は奇妙なことに気づきました。
すべての対象が、蛍光灯や殺虫剤、人工甘味料などのネガティブな刺激によって弱くなりましたが、何らかの訓練を経て意識のレベルが高い人たちには、世間一般の人たちのような弱さがテスト反応に現れなかったのです。
被験者の意識の中で、自分たちにとって重要であり決定的なものが、変わってしまったからです。
というのは、彼らが物質次元にもはや支配されなくなり、現実世界は自分の心の信念のみによって影響されているということがわかってくるからです。
おそらく悟りへのプロセスとは、移ろいやすい人生に影響されない能力を増すことなのかもしれません。
私は単に頭の中で思い描くことだけで、世の中のものごとを変えてしまうという能力に、強く心惹かれるようになっていきました。
私は、愛の存在しない世界が、愛によってどのように変わるかを見せられました。的確なタイミングで、この愛のパワーに焦点を合わせると、この文明の全体的なデザインを奥深くまで変えてしまうことが可能ではないでしょうか。
中略
人間の人生にとって大きな嘆きとなるものは、心は常にあまりにもごまかされやすいものだということです。
仲たがいやもめごとは、人間が真実と誤りを区別することができない必然的な結果です。
しかし、この根本的ななジレンマに対する回答がここにあります。意識そのものの本質と、それを説明する方法です。そうでなければ、推論にしか過ぎないのです。
「パワーか、フォースか」プロローグより
0コメント