私生活が大事

スピリチュアルに生きるとは、どこを切り取られても嘘偽りのない生活をしているということ。

禅の言葉に「あるがまま」というのがあります。
「あるがまま」には「自分」がありません。「自分」という思いを無くした上で見えてくるもの、あるいは感じられるもの、それが「あるがまま」です。

「あるがまま」をシンプルに表現した禅の言葉に「柳緑花紅(りゅうりょくかこう)」があります。 文字通り「柳がみずみずしい緑の葉におおわれ、花は紅く咲いている」という意味です。

これは中国の詩人蘇軾(そしょく)が詠んだ詩の一節で、ごく当たり前の自然を描写しているに過ぎません。そこからは「観察する自分」というものがほとんど感じられません。ある瞬間に蘇軾の触れた自然。それをそのままに表現し切っています。禅の深い素養も備えていた蘇軾だからこそ、たった四文字で「あるがまま」を表現してしまうことができたのです。

優れた芸術家も「あるがまま」を表現しているように思います。


DivineSource

人は何かに属すことで安心する傾向にありますが、それは本質からはかけ離れた行為です。 DivineSourceは魂の成長とともに自立した個人を目指します。 そこにはリーダーや組織は存在しません。 思考はエネルギーです。 思考するから現実が起きるのです。 思考が先、現実はあとなのです。 自立したあなたのまわりには、真の仲間がたくさん集まってきます。

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