憧れの落とし穴

憧れの人というと、誰を思い浮かべますか?
嫌な部分があると、その人自身を嫌いになってしまうことがあるように、素敵と思うと、その人の全てが素敵に見えてしまいがちです。

しかし、その憧れの人の実情はどうでしょうか?
聖者でもない限り、問題の無い人はいません。
もしかしたら、あなたの憧れるその人は、皆が憧れる自分を演じ続けているため、いつの間にか自分自身をも騙して無理を重ねているかもしれません。
人の評価に左右されるような、本質でない偽りの理想は、その理想を手に入れたとしても、また次の理想を掲げるため満足には程遠く、永遠に不安が生み出すゲームにハマってしまいます。

もし、あなたがやみくもに「羨ましいな」「あんな人生送ってみたいな」と思うとしたら、その憧れの人の問題の部分も、潜在意識は受け入れることになります。
せっかく、一人一人の人生は完璧なのに、マスメディアやネット上に存在する本質ではないエゴが作り上げた他人の人生に憧れを抱くのは、本当に愚かな行為です。

良いところだけを真似しようとしても、その状況を手に入れる為の犠牲なくしては存在しない架空の理想像ですので、そういう上手い話しは存在しません。
イチロー選手のようになりたければ、イチロー選手のように人生を野球に捧げて、24時間イチロー選手のような努力が必要ですよね。
そんな大それた考えでなくても、表向きビジネスで成功しているようにみえて、華やかに自分を演出している人も、それなりの犠牲を伴って華やかさを演じることに多大な労力を費やしているかもしれません。

どんな人生も、その人のオリジナルであれば、必ず一番良い状況であるはずなのです。
そこで何かに気づき何かを学び、何かを手に入れようとしている途中段階で、人の人生を羨んだり憧れるエネルギーは、自分自身のオリジナルの人生を蔑ろにすることに繋がります。
逆に人の人生をみて、我が人生を顧みる行為も同じことです。
例えば病に倒れた人や突然の事故にあった人がいると、人生いつ何があるかわからないから今を楽しまなくちゃと思う人は、その人生に敬意を払うことなく、まるでその人の人生はかわいそうだったと言っているようで、私はとても違和感を感じます。

全ての人の人生はその人にとって最良の道です。 そしてほんとうに最良かどうかは、その人が本質をいきているかどうかにかかっています。

画像はvivienne.ladyさんにお借りしました


DivineSource

人は何かに属すことで安心する傾向にありますが、それは本質からはかけ離れた行為です。 DivineSourceは魂の成長とともに自立した個人を目指します。 そこにはリーダーや組織は存在しません。 思考はエネルギーです。 思考するから現実が起きるのです。 思考が先、現実はあとなのです。 自立したあなたのまわりには、真の仲間がたくさん集まってきます。

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