病気とヒーリング
みなさんはヒーリングとチャネリング、どちらに興味が湧くでしょうか。残念ながら日本ではチャネリングのほうが重要視されがちですが、役に立つのは断然ヒーリングです。
そこで少しずつヒーリングについても書いていきたいと思います。
その前に病気とは
想念が身体に及ぼす影響は、私たちが考えている以上に大きいものです。
物質的なものにのみ執着し、霊的な世界には全く関心を払わなかったり、自分さえよければというような利己的な考えを持っていたり、また、こうでなければならないとか、こうしてはならないといった固定観念によって心ががんじがらめになっているために、自分の思い通りにならない状況に直面して葛藤していたり、憎しみや恐怖心といったネガティブな感情によって心が占められたりしていると、目には見えない不調和な波動が、3次元の肉体に反映され、肩こりから末期癌までのありとあらゆる症状を現象化することになります。
症状が何であるかは実のところほとんど重要ではなく、その人の生き方が自然の摂理に反している、言い換えればその人が愛の欠如した状態にあるということを自覚させるための警告という点で、どの病気や症状も全く同じ意味を持っています。
このような不調和は本来、原因である自然の摂理に反した生き方を改めることによって取り除くべきものなので、最終結果として現れてきた身体の病巣を切除したり、取り替えたり、様々な化学薬品を注入したりすることは、文字通りの対症療法にほかなりません。
原因をそのままにして結果だけつじつまを合わせようとするわけですから、仮に症状が回復したように見えても、それは一時的なもので、いずれ再発したり、他の病気になったりすることもすくなくないわけです。病気を治すことを直接の目的にするのではなく、病気を自然の摂理に反した警告とみなして(その原因は必ずしも今世で創っているとは限りませんし、あらゆることが複雑に絡み合ってるので、因果関係は単純ではありませんが)、身口意(心で想い、言葉で語り、身体で行為する)の全てを見直し、自然と調和した生活に戻すことで、結果として病気もなくなるというのが正しい対応の仕方です。
もちろん急場を凌ぐには医療に頼る選択も必要な場合が多くありますが、その際原因を顧みることは不可欠で、真の原因を放置したまま、症状を取り除くだけで問題を先送りにすることは、カルマの上塗りをするようなものだと言えます。
また自然療法に傾倒するあまり、状況によっては極めて効果のある化学薬品の使用を拒否し続けて、事態を悪化させてしまうのも否で、大切なのはバランスです。
また、肉体の維持に執着することが、本人や周囲の人たちの魂の成長にとって、かえって有害な場合もあるのです。
ヒーリングには様々な方法があります。
漢方やホメオパシー、フラワーエッセンスが心身の不調和に効くことがあるのは、波動による影響が大きく、患者を調和に導く波動の媒体は、その時に必要な波動さえもっていれば、食べ物であろうと、自然に恵まれた環境であろうと、あるいは美しい絵画や音楽であろうと、なんでも構わないのです。
そして地上に存在するもののなかでは最も広範囲にまたがる波動を持つ人間の身体を用いるのが、完全なる調和、すなわち愛を表す上では一番理にかなっていると言えます。
実際にヒーリングを行う場合、サイキックな方法では、治療家自身のエネルギー(正確には、治療家自身が限定しているエネルギー)を使用するので、治療家の身体を維持しているエネルギー量がそのまま放出できるエネルギー量の限界で、重症の患者を治療したり、短時間に大勢の患者に接したりすると、ひどく疲れる場合があります。
また、治療の反作用として、患者が持っていた不調和な波動を受け取ってしまうことがあり、長年にわたって治療家をやっていた人たちのなかには、自らの健康を損ねたり、早死にしたりする人も少なくありません。
更にサイキックな方法では、治療に際して使用するエネルギーを自分でコントロールしなければならないため、物質レベルの医学的知識や、精神的、霊的な自然法則について深く理解していることが不可欠です。
このほか、補助的な手段として患者の身体やエネルギーの流れを透視したり、オーラの状態を霊視したり、場合によっては患者の指導霊と話をしたり、病気の原因を過去世に遡って調べることのできる能力が求められるなど、正確な治療をおこなうためには、多岐にわたる高度な能力と専門知識が必要になります。
また、ヒーリングに際しては、治療家の精神的、肉体的傾向の全てが波動として患者に影響を与えるので、治療家が人格的に大きな問題を持っていたり、健康状態が良くなかったり、たまたまその時に不調和な想念を持っていたりすると、患者にとってはむしろ害になることもあるのです。
そういう点において、イメージだけでよく知りもしない人からの無料一斉ヒーリングを有難がって受けたり、セミナーを受講しても自らの問題に取り組むことをせず、仕事として始めてしまうのはいかがなものかと思います。
これに対してスピリチュアルなヒーリングの方法では、治療の全過程は無限の叡智である全体意識の管理下に置かれるために、あらゆる状況は完全に把握されており、仮に治療家が顕在意識では何も知らなかったとしても、治療家の意識が愛のみに向けられることによって全体意識の通路となることができれば、治療の全ての場面において、常に適切かつ完璧な対応をすることが可能になります。
スピリチュアルなヒーリングでは、治療家は宇宙の本源からくる無限のエネルギーと、無限の叡智の通路として働くだけなので、使用できるエネルギーの量には限界がなく、ただその通路となる治療家の媒体としての意識の状態によって、単位時間に流すことのできるエネルギーの量と、その質が制限されるだけになります。
ヒーリングの最も大きな意義は病気を治すことにあるのではなく、患者の意識を真理に目覚めさせ、その人が自然の摂理にあった生き方をするように変わることで、この地上により多くの調和をもたらすことができるという点にあります。
仮に病気が治ったとしても、本人がまた、今まで通りの自然の法則に反する生き方を続けるようであれば、彼らは大きなチャンスを逃したことになりますから、治療家は単に病気を治すことにとどまらず、患者に対して自然の摂理を理解させるような、カウンセリングを適切に行うことが非常に重要な仕事になります。
患者は病気さえ治してもらえば、今度こそ自然の法則にかなった愛と奉仕の生き方をしたいという想いはその時点では決して嘘ではないはずですが、どの医者からも見放された病気が奇跡的に治ると、いったんは大感激して喜ぶものの、日が経つにつれて、またそれまでの不調和な生活に戻り、物質的な欲望におぼれ、利己的な行為を繰り返すようになっていく人たちが多いということもまた事実です。
このような場合には、いずれまた病気が再発したり、違った形の現象で学ばされることになります。
ですからわざわざ遠回りをさせるよりは、本人が心底気付くまで手を施さないほうが良い場合もあります。
病気には、自然の摂理に反した生き方をした場合に、その不調和な表現が際限なく続くことを阻止する目的で、肉体の機能を働かなくしたり、苦痛を生じさせることで、本人に間違いを気付かせるといった大切な目的があり、こうしたケースでは、患者がそのことを自覚するまではヒーリングは功を奏さないのが普通です。
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