学び方

リトリートが心身のリセットに有効であることを体験された方もいらっしゃると思います。

特に海外でのリトリートは顕著である場合が多いように思います。その理由は様々ですが、ひとつに脳の使い方の影響があると思います。日本語が通じない環境では、日本語を使って考えていた思考回路のしがらみも弱くなってきます。日本人にとって、今までのものの見方や思考パターンを変えていく舞台として、海外でのリトリートは有効かと思います。

ただ問題は、日常生活に戻ってからもその状態を維持できるかどうかです。

元に戻ってしまう人の場合、大きく2つの理由が考えられます。

1つは、環境頼り、人頼りになってしまうこと。〇〇寺だったから。〇〇の指導だったから。というもの。

2つ目は、気分や感覚の変化で終わってしまうことです。

どうして苦しんでいたのか、そしてどうして良くなったのか、そのへんのからくりを知的にしっかりと自覚できるかできないかは、変化した状態を日常生活に戻ってもキープできるかできないかの鍵になります。

たとえば自己啓発セミナーの類は、心理学に基づいた強力な方法を用いて、参加者を一時的な興奮と感動に導き、その場では確かに大きく変われたような感じにさせます。しかし参加者は日常生活に戻ると以前とあまり変わっていない自分であることに気付きます。

それもそのはず、主催者側が意図的に特殊な場をつくり、集団心理の原理などを応用して一時的にそういった気分にさせていたにすぎないからです。

参加者はセミナーの時の感動と変化の実感が強かった分、日常生活に戻った自分とのギャップも感じられ、以前にも増して自分はダメだと思ってしまう。それであの時の感動や変化の実感を求めて再びセミナーへ。ということになります。こういったリピーター需要と「エンロール」と呼ばれるセミナー勧誘活動によって、セミナービジネスは成立しているわけです。

ただここでお伝えしたいのはセミナービジネスのからくりではなく、なぜ参加者が日常生活に戻った時に元の木阿弥になりやすいかです。

その理由は他でもない、自身の心の変容のからくりや、背景について無自覚だったからです。

それゆえに、日常生活に帰ってからの再現が難しかったということです。

瞑想によって覚醒力を高め、同時に自己観察をしていくことにより、自身の心の変化のプロセスを確認でき、また苦しみの起こる理由や、そこから離れていける理由についても体験的に自覚化することができます。

またそれらを言語化することによって、理解の定着化を図ることも大いに役立ちます。

これがセミナービジネスとの違いです。

日常生活に戻り、まずはネガティブになればそれに気付く。そして細かい軌道修正をその都度自分でする。それを繰り返すことによって、ネガティブな感情に反応してさらに悲観的な思考パターンを次々と引き起こすことがなくなり、良い心の状態をキープできるようになります。

自分でやってみて、壁にぶつかって、そしてその問題を確認していくということを繰り返すからこそ、そのずれとずれが修正できた時のコントラストも自分で体験的にはっきりと理解できます。そしてそのループにより、脳の中にそれ全体に通じるルールができてくるのです。


DivineSource

人は何かに属すことで安心する傾向にありますが、それは本質からはかけ離れた行為です。 DivineSourceは魂の成長とともに自立した個人を目指します。 そこにはリーダーや組織は存在しません。 思考はエネルギーです。 思考するから現実が起きるのです。 思考が先、現実はあとなのです。 自立したあなたのまわりには、真の仲間がたくさん集まってきます。

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