共通意識によって創り出されたイメージの誤解
自称過去世マリーアントワネットの方がたくさんいらっしゃいます(笑)
それが何を意味するか考えたらとても笑顔で話せることではないと思うのですが。
同様に様々な事象にはイメージがあると思います。
例えばバレエ。
画像はドガの踊り子
言わずと知れた有名な踊り子の絵です。
この絵を描いている画家は、舞台を見下ろし、そでが覗ける位置、オペラ座の天蓋近く一番良いバルコニー席から見ています。
そこは上流階級の限られた人々しか利用できず、個室になっていてカーテンを閉めれば何をしいても自由でした。
オペラ座は、上流階級のファッションの流行や、娘のお見合いなど社交場としての機能も果たしていました。
今でこそ一流の芸術として認められているバレエですが、当時はオペラの幕間の余興としてスタートしたのです。
この時代の女性はくるぶしまでの長いスカートで、両家の子女はほとんど肌を出すことはなかったのです。 そのような時代に太ももまで出して足をあげて踊ることがどれだけ大変なことだったか想像がつくでしょう。
そしてバレエダンサーになる女性のほとんどは、下層階級の若い娘たちで、良い暮らしをするために必死でした。
彼女らがプリマとして主役を張れるようになるためには、良いパトロンを見つけることがすべてだったのです。
バレエに本当に興味があったかどうかわからないタキシードに身を包んだ紳士たちは、気に入った踊り子を桟敷席に呼ぶことはもちろん、控室にも出入り自由でした。 そしてパトロンになることが決まると演目はもちろん、この絵のように舞台の袖に立ち、自分の愛人を見守ることも当然の権利でした。
そしてドガもまたそういった上流階級の紳士の一人でした。 ドガのほとんどの踊り子は、顔の区別がつきません。 踊り子は踊り子以外のものではないのです。 彼の頭の中は明暗の配置と構図がすべてでした。
でも絵はそれを暗示します。 踊り子の首に掛けられた黒いリボンはどうでしょう。 まるで袖に立っているパトロンに握られているように見えない鎖があるようです。
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