孤独への怖れ
体験と感情とマインドが統合されたとき、真の理解と学びが訪れます。つまり、現実にしっかり身を置いて感じ取る時、何が起きているかを見るための知性が起動するのです。
もし孤独への怖れに支配されれば、私たちの意識は常に外を向くことになり、適応するために何をすべきか、どうあるべきかを探し続けることになります。
こうなれば、内面の世界に留まるのは難しくなり、体験から学ぶことができなくなります。
孤独への怖れを、親やパートナー、人生で大きな感情的な繋がりを持っている人たちとの関係において経験するケースは少なくありません。
パートナーが去ってしまうのではないかという怖れが、関係性に大きな緊張と妥協を生み出しかねないのです。
滋養もなく、うまくもいってない関係性だとしても、独りになるのが怖いので、関係を壊さないために妥協するというケースです。
例えば全然満足感もなく、得るものもない関係性に甘んじている女性がいるとしましょう。 彼女のパートナーは他の女性と付き合っていたり、彼女のお金を使い込んでるかもしれません。どちらにしても、彼女は彼のそうした行動を正当化する理由づけの一覧表を持っていて、あらゆる証拠が逆のことを示していても、彼は自分を本当に愛していると信じ続けるかもしれないのです。 あるいはいつか彼は変わるという考えにしがみついているかもしれません。はたから見れば、この女性はかなり愚かに見えるでしょう。 しかし彼女は、子供のころに学んだ信頼という在り方に頼っているだけなのです。その代償が、彼女のその後の人生の現実です。 彼女は感情よりも思考を、ハートよりも頭を優先させているのです。 しかしそのままいけば、彼女の人生は行き詰ってしまうでしょう。状況への感情的な応答から学ぶという、必要な学びを手にしていないからです。
ネガティブな感情をいったん脇に置き、現実に目を背けることなく、シンプルに事実を見れば、相手がいなくても生きていけるとわかってくるでしょう。
そうすると、いったい自分たちが何をし、何を学んでいるのか、そこでのお互いのニーズは何かというように、関係性を現実的に見ることができるようになります。
こうした視点から、その関係性がよくなる可能性があるのか、それとも別れるという選択をするかが見えてくるのです。
そのさい世間の常識やジャッジは自分を正当化したい人の言い訳にすぎません。
大切なのは、あなたがハートで感じていることです。
幸せを絵にかいたような人がいます。何不自由なく人生を謳歌しているように見える人がいます。
あるいは過去に大変な試練を乗り越えたことを自ら語ることで、周囲の人たちに勇気を与えているかのように見える人がいます。
ほんとうにそうでしょうか。
ほんとうに幸せな人は幸せをアピールする必要がありません。
真に試練を乗り越えた人は、そんなことはもうどうでもよくなっているはずです。
外側に目が向いていれば、真実は見えてきません。
自ら望む人生をクリエイトし続けている人は、ただそこに在るだけだと、今の私の目には映ります。
自分の波動より高いものはわからないので、今の私にはということですが。
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