分かれ道
エゴはどこまで行っても満たされることがない。
常に恐れや不安がつきまとう。
それゆえ身を守ろうと、あれやこれやと策を練る。
エゴは何も知らない。
何も知らないで策を練る。
自分に都合よく策を練る。
そしてあたかもそれが功を奏したかのように得意になる。
それが転落の始まりとなり、スピリチュアルな成長とは真逆の道を進んでいることに気付くことさえできない。
でも心配することはない。
人は皆、霊的な目覚めを目的としているのだから、必ずどこかで気付くようになっている。
ただそれは、エゴが最も恐れる現象を取ることが多い。
なぜなら、エゴが降参する必要があるからだ。
真我に常に道をあけていれば、エゴに惑わされることなく進むことができる。
例えその道の途中に望まぬ出来事があろうと、人生そのものを信頼し、良きことがあればそれを抱え込むことなく分け与える。
真我はすでに満たされていることをよく知っているから。
肉体においても外側にしっかりと筋肉がついていると、内側の筋肉は常に意識しないと、必要な個所に十分つけるのは困難。それは外側がわかりやすく強力に作用するからだけど、最初は手ごたえさえなくとも諦めないでいると、どんな人でも内側にしっかりとした基軸ができ、外側に揺さぶられにくくなる。
間違ってはならないのは、もう揺さぶられなくなるわけではない。よりコントロールしやすくなるということだ。そしてとても軽く、楽により多くのことができると感じられるようになる。余裕が生まれる。
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